4、歴史の陰謀(1)History’s intrigue 歷史的陰謀
歴史を学べ、歴史を信じるな。これが私が最初に学生たちに言ったことです。
At first I said to students “Study history, but don’t trust history”.
在一開始我會跟學生說:『學習歷史,但不要相信歷史。』
歴史問題です。同じことでも、台湾と中国と日本と、そして韓国と、言ってることが全然違うということは、今日私たちが日常的に経験していることです。そういうことです。美術の歴史もまったくいっしょです。
That’s the problem with history. We know that Japan, Taiwan, Korea and China say different things about the same thing. This happens often, and it’s the same with art history.
這是一個關於歷史的問題。同樣一件事,台灣、中國、日本甚至韓國所說的全然不同。這是非常頻繁的,美術的歷史也是如此。
ヨーロッパで発達した複製版画はアートとしては認められていません。私は認めていますが。誰が認めてないかといえば学者たちです。前回にも言ったように、ヨーロッパ人たちはアートはアーティストの個性を表現するものだから複製はアートじゃないと決めています。じつはアートはアーティストの個性を表現するものだ、という原則というか定義付けをしたのは19世紀になって市民革命の思想が行き渡ってからのことで、それを裏付けするようなクールベやベートーヴェンのようなアーティストが登場してからのことです。ですから今日では誰もが当たり前のこととして受け入れているこの定義は、じつは長い人類の歴史から見ればごく最近のものだということです。この定義がじつはアーティストの首を絞め、今日のアートを袋小路に追い詰めている元凶だと私は考えています。
Old European print reproduction isn’t recognized as art. I recognize it as art. Who doesn’t recognize it? It’s scholars. As I mentioned, Europeans think that art is something that expresses an artists personality, and so believe reproduction isn’t art. In fact the definition that art is the expression of an artist was made in 19th century after the revolution, thought became popular and some artists like Courbet and Beethoven appeared. Today everybody accepts it as common sense. But it’s quite new from a point of view of long human history. I think this thought is a ringleader that limits artists and chases art down a blind alley.
在歐洲,複製版畫還沒被認同是一件藝術;雖然我承認它是。是誰不認同呢?就是學者們。正如我所說,歐洲人認為藝術是藝術家表現自己的個性,所以他們覺得複製品不能被稱之為藝術。事實上,有些藝術家在十九世紀革命後便開始走紅,例如庫爾貝和貝多芬。人們現在把它們當成一件司空見慣的事情。但從歷史上的面相來看那是一個很新的觀點。我覺得有這種想法是一種扼殺藝術家和把藝術家逼到絕路的觀念。
アートがアーティストの個性を表現しているのは、これはべつに19世紀以降のものではなくてルネサンス以降のヨーロッパの美術すべてに言えることだろ。とおっしゃられる方も多いと思います、これは陰謀です。
Many people think all art was the expression of the artist, after Renaissance. It’s not after 19th century. No. It’s history’s intrigue.
藝術是藝術家表現個性的東西;然而很多人認為的藝術品,就是文藝復興時期的藝術。但是,現在早已不是十九世紀了。這就是歷史的陰謀。
たとえばレンブラント。たくさんの自画像を描いています。自画像はゴッホを持ち出すまでもなく自画像は画家みずからの表現として最適なものと、ふつう考えられています。つまりクールベ以前のレンブラントも自画像を描くことで自己表現をしていると考えられてきました。
For instance Rembrandt. He painted many self-portraits. Generally people think self-portrait is painted as an expression of the artist himself. Van Gogh is a good example. We believe that before Courbet Rembrandt expressed himself by self-portrait.
例如倫勃朗。他畫了非常多自畫像。一般人會覺得自畫像是一個藝術家表現自己的方式。梵谷就是一個很好的例子。換句話說,庫爾貝也藉由自畫像來表現了他自己。
私はそうは考えていません。あれは商品見本だと思います。様々なタイプの人物を描き分けることができる技量を宣伝するために描いた。私はそう考えています。
Now, I don’t think so. These self-portraits were a commercial sample. I think he painted many characters to show his technique.
但我不這樣認為。這些自畫像只是商品的樣本罷了。這些形形色色風格的人物只是他拿來展示他描繪技法的能力罷了。我是這樣認為的。
レンブラントでしばしば問題になるのが真贋問題です。当時の売れっ子アーティストは、多い注文に応えるために工房を構えて弟子たちに手伝わせていました。おそらくほとんど弟子が描いたものでもレンブラント作として売っていたのだと思います。ご当人が自分のものだと言っても他人が描いていれば、今日の価値観からすればそれは贋作ということになります。ほぼ同時代のルーベンスは生涯に数千点の作品を残しています。彼は外交官としても活躍していたそうです。そんな数の作品を一人で描けるはずがありません。ルーベンスの個性的な描き方は、それはもちろん個性ではありますが、それ以前に登録商標みたいなものと考えたほうがいいと思います。その弟子たちのひとりにヴァン・ダイクがいたことはよく知られています。・・・ちなみに私はヴァン・ダイクが大好きです。ヴァン・ダイクとフェルメールは近々テーマにしたいと考えています。・・・
Concerning Rembrandts’ authenticity is often a big problem. In those days popular artists have their own studio and many students to help them with orders. I suppose some works painted by students for the most part were sold as Rembrandt’s work. If a work was painted by a student, we recognize it as a fake, even if the artist declare it’s his own work. In almost the same age, Rubens painted thousands of artworks. He was a busy diplomat. It’s impossible to paint thousands of artworks alone. Rubens’ technique is characteristic. It’s unique, of course. But we should think it’s like a registered trademark. One of Rubens’ students was Van Dyck. I like Van Dyck very much. I will talk about Van Dyck and Vermeer at a later stage.
關於倫勃朗有個關於真假的問題。當時有些當紅的藝術家,他們會接到許多訂單,因此他們會成立間工作室裡面會有許多弟子幫忙些訂單的作業。我想,可能有些學生的作品被當作倫勃朗的作品來販售。如果一件作品由一個弟子來畫,我們會認為是贗品,就算藝術家申明這是他的創作。在近乎同一個時代,魯本斯的畫作數比萬千,他是個忙碌的外交官,如果只有他一人是不可能完成這麼多件作品。魯本斯的特殊技法,雖然也有他獨特的個性存在,但我們應該把它視為一種註冊商標。順帶一提,我非常喜歡魯本斯其中一個學生-範戴克。我很快就會介紹到範戴克和維米爾。
当時のアーティストは個性を登録商標には使ってはいましたが、自己表現をしたいなどとは考えていなかった。それをあたかも近代のアーティストと同じ価値観のもとに作家活動をしていたかのように記述をするということは陰謀です。
In those days artists used his individuality as a trademark. But they didn’t want to express themselves. Today’s scholars write that they painted like modern artists in the same sense of values. It’s an intrigue.
在那個時代藝術家的個性為註冊商標,但他們不想要表現自己。在現代的學者把他們稱之為近代藝術家,在這個價值觀下進行作家評論來描述,這就是歷史的陰謀。
面白いのは、ルネサンス以前の美術の取り扱いです。中世です。中世は約1,000年です。ひとつの体制が1,000年も続くというのは古代文明だけです。日本の平安時代や江戸時代が300年前後続いたというのとは意味が違うかもしれませんが、独自の文化、美術作品を生んでいることは事実です。ルネサンス以前の美術もいいですよ。中世はキリスト教に支配されていた時代です。私が見たことのあるものはすべてキリスト教関係のものばかりです。
An interesting thing is what to think about the art before Renaissance. The medieval age. Medieval age spanned around 1000 years. The system continued for more than 1000 years. An ancient civilization. In Japan Heian period and Edo continued around 300 years. Medieval is a little bit different from Japanese. But it’s true that Medieval made its own culture and art works. I think Medieval art is very good, too. The Medieval age was very religious. All art works I have seen are associated with the Church.
有趣的是,如何去思考文藝復興時期。那是中世紀時代,中世紀約一千年左右。這個體制持續了超過一千年的古文明。由於日本的平安時代跟江戶時代持續代約三百年左右,形成獨特的文化、藝術品是事實。我認為中世紀的藝術也非常棒。中世紀是基督教支配的時代,因此所有我所看見的都是有關於宗教相關的創作。
私は25年以上前になりますがベルギーに半年ばかり留学をしていました。首都ブリュッセルには2つの大きな美術館があります。王宮の近くのまさに町の中心部にあります。ひとつが近代美術館、もうひとつが古典美術館。古典というのはルネサンス以降です。ここにはルネサンス以前のものはありません。じゃ、中世のものはどこにあるか。中心部から離れたEU本部の近くに凱旋門があります。パリのように有名ではありませんが、そのミニチュアのようなものがあります。パリのものと違ってこっちには両翼が建物になっています。そのひとつが自動車美術館。もうひとつが歴史美術館。ここに中世が集められています。場所が中心からはずれていることもあって、ここはいつもガラガラでした。私は自分のアパートが近かったせいもあってよくここを訪れました。中世の素朴なマリア像や祭壇、油絵が生まれる前、とくに北方では祭壇は小さな木彫で飾られていました。それらの素朴な信仰心には、日本のお地蔵さんにつながる雰囲気があります。癒されますよ。でもこれらには個性も表現もないです。ヨーロッパではこういう扱いを受けます。これも受け手のことは考えない歴史の陰謀です。
I lived in Belgium for six months more than 25 years ago. In Brussels there are two big museums. It’s located in center of Brussels near the royal palace. One is The Modern Art Museum. The other is a classic Art Museum. In the classic Art Museum there is no work before Renaissance. So where is the Medieval art? There is an arch of triumph far from center. It’s not famous like in Paris. It has two buildings on each side. One is a museum of cars. The other is historical museum. There are medieval arts here. As it’s far from center, there are very few people there. As my apartment is close to this museum, I often visited it. There are many sculptures of the Virgin Mary, and many altars made by wood. Before invention of oil painting, alters especially in the north made by small wooden sculptures. This primitive religious atmosphere is similar to Japanese Jizou primitive sculpture for common people. They heal me. In these artworks there are no expression of individuality. In Europe they are treated like this. It’s intriguing. They don’t think about common people.
約莫二十五年前,我在比利時留學大約半年。在首都布魯塞爾有兩個很大的美術館。座落在王宮附近的市町中心。一個是現在美術館,而另一個是古典美術館。在古典美術館裡面沒有文藝復興前的作品,那中世紀的藝術品在哪裡呢?在遠離市中心的EU本部附近的凱旋門。這裡不比巴黎有名。它的兩側有兩棟建築物,一棟是汽車博物館,另一棟是歷史博物館。這裡有收藏中世紀的藝術作品,因為它遠離市中心,所以這裡比較少人來。因為我住的公寓離這裡很近,所以我常常來這裡。那裏有許多聖母瑪麗亞的木雕和祭壇,在油畫還沒問世之前,特別是北方有許多小型的木雕裝飾。但是這些是不具有任何個性的表現的。這份信仰的心對一般人來說,就像在日本的地藏王菩薩一樣,讓人覺得心情很平靜。在歐洲他們是這樣認為的,這也是一般人不會思考到的歷史的陰謀。
日本にも陰謀はあります。こちらは政治が絡んでくる分、もっと陰謀の匂いむんむんです。みなさんは楊州周延という浮世絵師を知っていますか?私も10年ほど前まで知りませんでした。明治の人です。活躍の中心は明治の末です。
In Japan there is intrigue, too. It’s related to politics. I find this more intriguing. Do you know an Ukiyo-e artist Youshu Chikanobu? 10 years ago I didn’t know him, too. He was an artist in Meiji period. His main stage was in the end of Meiji period.
在日本,也有陰謀。由於它涉及到政治,他更加地有陰謀。大家知道楊州周延這個浮世繪師嗎?10年前的我也還不知道。他是明治時代的人,活躍在明治時期的末端。
え?浮世絵って江戸時代のものじゃないの?
What? Ukiyo-e is in Edo period, isn’t it?
什麼?浮世繪不是江戶時代的東西嗎?