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9、芸術とは何か(1) What is art (1)

  • 2016年4月13日
  • 読了時間: 10分

 さて、そろそろ授業を進めるのに芸術とは何かがある程度わかっていないと話が進まなくなります。とりあえずでいいですから「芸術とは何か」の定義付けをしましょう。

 これは以前、芸術科の高校生を相手に行った美術概論の授業でもそうだったのですが、アーティストになりたいと考えている学生にこの質問をすると、自分とアートとの関係ばかりを考えてしまうようです。

 作品と自分とはイコールのものだから、作品に対して誠実でなければならない。とか、自我をキープしていなければいけないとか。作品を作る満足が自身の生きる活力になる。文化とか、政治とか社会とかの問題について言いたいことを伝えるメディアだとか。

 いろいろ考えているうちに個人(アーティスト)と人々(受け手)を癒すもの、という意見が出ます。ちょこっと進歩しました。たぶん最終的にはこの近辺に落ち着くことになりそうですが、少々ゆさぶりをかけたいと思います。

 日本には岡本太郎という現代美術を語るうえで欠かすことのできない巨人がいます。彼の合言葉は「芸術は爆発だ」です。

 彼は、日本の美術は茶道に代表される侘び寂びという概念に大きな反発をします。年寄り臭くてエネルギーのない、何もかもを縮小していまうようなありかたが日本のすべての美術の根底にあるという考えに対して、それは違うということを実例を示し、論理的に反証を試みました。

 彼の最大の功績は縄文美術の価値を大きくあげたことです。縄文の燃え立つような造形こそが日本人の根底に流れるものであって、次の時代である弥生から奈良、平安に至る流れで確立されることになる王朝文化とは違うところで、そのエネルギーに満ちた造形は受け継がれているとしました。その例として沖縄の文化に着目したこともいい着眼点だと思います。

 ただ私の意見では、美術に関しては問題点のほうが多いと思います。

 まず王朝文化や侘び寂びにエネルギーがないというのは、ものの表面しか見ていないとしか言えない。たしかに小さな世界に封じ込められてはいても、そこには強くて広いエネルギーが内蔵されています。源氏物語にエネルギーがない?井戸茶碗や楽茶碗にエネルギーがない?爆発したつもりになっている岡本太郎の作品よりもはるかに強いエネルギーがそこにはあります。

 岡本太郎にこのような考えを植え付けたのは西洋の近代です。彼はエリートの家に生まれフランスに留学をしています。真面目で純粋な若者が歴史の必然に染まるのは、彼もいっしょでした。当時のパリではダダやシュールレアリスムが最先端でした。なるほど、でしょ?彼もまた欧米の先端を日本に紹介することで、美術界のトップに立つという黒田清輝以降、今日に至るアーティストの一人にすぎません(ちょっと言い過ぎかな)。

 でも岡本太郎の「芸術は爆発だ」は、現代美術の古典として価値を持ち続けていますし、私もその価値を認めるのにやぶさかではありません。では、芸術とは爆発でしょうか?広くて包括的な定義とはとても言えないでしょう。だとしたら、日本の侘び寂びどころか、フェルメールもレオナルドも芸術ではなくなってしまいます。「象」というひとつの言葉で、巨大な動物の全体像を私たちは了解します。「芸術は爆発だ」は、象の目のようなものかもしれません。巨大で迫力満点なのに意外と目は優しく寂しげなんだ、って感じです。私が、彼の「芸術は爆発だ」を認めているのは、ぼーっとしてないで目を覚ませ、と言っていると受け止めているからです。とくに岡本がこれを言ったのは、明治になって日本人が苦労し続けてきた、日本人ならではの油絵を確立した直後くらいの時代でした。梅原龍三郎や安井曾太郎の仕事は素晴らしいものです。が、画壇では彼らの業績の上に新たな価値を生むのではなくて、縮小再生産のような状況になっていました。私が学生時代も、その状況は変わってなくて、私も画壇の仲間にはならないと決心して今日に至っています。岡本太郎が言いたかったのは「目を覚ませ、前に進め!」つまり成長を目指せ、ということです。と言いつつ、彼自身はその後成長しているようには見えないのが少々皮肉ですが。爆発して目を覚ましてからの成長を見せることができなかったことは彼の致命的な失敗だと私は思っています。

 ここで、岡本が否定した日本の平安時代について考えてみましょう。

 みなさんは、芸術のジャンル、たとえば絵画、彫刻、音楽、詩、書道、そういったものにヒエラルキーはあると思いますか?こう聞くと、美術を勉強している学生たちは全員、そんなものはないと否定をします。しかし、それは作る側の論理です。

 平安時代にはあきらかにありました。それは源氏物語を読めばはっきりとわかります。

 トップにくるのは詩、つまり和歌です。次は書。そしてそのふたつよりはっきりと下がったところに音楽と踊りがきます。絵ははるかはるか下です。

 なんでこんな順番になると思います?

 技術という観点から見たらどうでしょう?

 和歌には技術はいりません。もちろん技巧や工夫が大きな力になることはあるでしょうが、基本的には日本語さえ話せれば誰でもできます。

 書だって、とりあえず意味を伝えるというだけなら、これはほとんど誰でもやっていることです。

 このふたつに比べると音楽やそれに付随する踊りには技術が求められます。が、子供のころから日常的にやっていることなら、ことさらに技術を持ち出さなくてもすむレベルだと思います。平安時代の音楽にショパンやリストはいません。

 絵には技術がいります。子供の時から親しんでいれば、大人になって自然に描けるようになるということは決してありません。相応な才能と特殊技術の習得が必要になります。ただ平安時代には誰も絵で自己表現ができるとは思ってませんでしたし、目指してもいません。

 技術が必要なものほど下にくる。

 和歌はコミュニケーションの道具です。今日では詩歌はあくまで芸術ですが、平安時代の人たちには和歌は芸術である以前にコミュニケーションの道具でした。手紙には和歌が添えられ、宗教的な儀式にも歌は捧げられますが、最大の目的はラブレターです。和歌はある意味直接的な気持ちの表現です。いかに深いともろまで自分を理解してくれているか、いかに趣味のいい人間なのか、そんなことが和歌でははっきりとわかってしまいます。今日的な自己表現に近いものがあるかもしれません。

 その和歌がどういう文字で書かれるか。今日でも筆跡で個人の性格や社会的な地位なんかがわかるように、これもある意味自己表現です。どんなに素敵な和歌であっても、その元になっている人間性は書ではごまかすことはできません。中国の書家の多くは政治家や学者ですし、日本でも空海は偉大なお坊さんですし、藤原行成は政治家です。今日、私たちは彼らの書を見ることで、彼らがいかにすぐれた政治家であったか学者であったかを逆方向に想像できます。

 これを言ったら現代の書家からは猛反発をくいそうですが、私は現代の書は古典には絶対に勝てないと思っています。彼らも古典の素晴らしさを誰もが語り、臨書の重要性を語ります。しかし、現代の書家はアーティストであって学者でも政治家でもお坊さんでもありません。政治家として戦ってきた、お坊さんとして厳しい修行をした、学者として高い学問的成果をあげた、これらを伴わない書は受け手にとっては、わけのわからない抽象絵画といっしょです。空海の書は素晴らしいです。アートとして素晴らしいだけでなく空海だからもっと素晴らしいのです。

 音楽の演奏や踊りに人間性が表れることは、これは今日も当時もいっしょでしょう。しかし、このふたつはやはり詩歌や書ほどには大きな意味は持たなかったはずです。

 それらに比べて絵画は、貴族たちがなかなか行くことのできない風景を描いたり、仏画を描いたりというのは、むしろ装飾であったり調度品であったりはしますが、自己表現とは離れた存在だった。つまり地位としては下に来る。

 芸術とは何か、それは自己表現である。そういう定義からすると、平安時代の芸術はこの定義にかなったものであったわけですが、同時にその強さからあきらかなヒエラルキーがあった。

 さあ、どうしましょう?ヒエラルキーを認めますか?

 技術を必要としないものほど上位にくるってことをもしピカソが知ったら、大よろこびをするんじゃないでしょうか。

 さて、では平安時代の芸術の受け手はどこにいるのでしょう?たしかに絵画の受け手は貴族たちです。しかし、その貴族たちは絵画を決して高い地位には置いていなかった。たしかに今日的な価値観からは芸術と呼ぶよりはたんなる調度品です。彼らにとって芸術と呼べるものがあったとしたらやはり詩歌と書をあげたはずです。

 作り手と受け手が同一人物である、ある意味自己完結していたのが平安時代の貴族社会だったと言える。のでしょうか?

 もしそうだとしたら、それは幸福な状態だと言えるかもしれません。

 しかし、私はそうは考えていません。平安時代の貴族社会は今でいえば芸能界みたいなところだった。そう考えたほうが辻褄があうように私には思えます。

 私が大好きな平安時代の歌人に西行がいます。彼はお坊さんです。が彼はたくさんの恋の歌を残しています。このことは、仏教の観点から彼を評価することの大きな妨げになっています。はたして真面目なお坊さんだったんだろうか?私は、お坊さんでいることと、恋の歌を作る歌人とは全然矛盾はしていなかったと思います。瀬戸内寂聴さんはずいぶん以前に僧籍に入っていますが、男と女のドロドロの小説をたくさん書いています。和泉式部は恋多き女として有名ですが、もし和歌がたんなるコミュニケーションの道具だとしたら、彼女や多くの歌人の歌は墓場までいっしょに道連れにされて残ってはいないはずです。芸能人にとって不倫報道は仕事の一種であるのと近いかもしれません。

 この話をした時、学生からは識字率の質問が出ました。が、和歌はたったの31音です。もし字が読めなくても簡単に覚えられます。

 平安貴族の仕事は何だと思います?美しくあることが仕事でした。え?たしかに不思議に思うかもしれませんが、彼らは美で武装していたのです。多くの社会では支配階級は、武力をもって上にいるわけです。あいつら怖いからしょうがない、私たちは下にいることにしよう。ところが平安時代は、あいつらは自分たちと違って特別にきれい、だから自分たちは下でいいか。テレビの向こう側とこちら側です。

 平安時代、貴族たちが武力で政治を行っていなかった証拠がもうひとつあります。平安時代は末期になるまで300年以上にわたって死刑がありませんでした。平安貴族は武力はない、死刑もやらない、それで300年以上体制を維持できた。これは美の力です。

 もうひとつ、これは平安時代だけではなくて日本の歴史全体を通じて言えることなんですが、日本の権力者たちはモニュメントを作らなかった。これも体制維持には大きな力を発揮したはずです。

 フランスにはヴェルサイユがあります。ロシアにはエルミタージュ。中国には紫禁城、エジプトにはピラミッド。おそらくほとんどの国で権力者たちはモニュメントを作っています。

 しかし日本にはありません。

 平安時代の初期には中国の宮廷に倣った建物が作られましたが、火事で焼けるたびに小さくなっていきました。江戸時代の最初には江戸城に天守閣がありました。これも火事で焼けた後、もう平和になったんだから立派な城はいらないってことで再建されませんでした。これは物はいずれなくなるという東洋の思想がバックにはあるのかもしれませんが、それ以前に必要性を感じなかったということが大事です。

 しかし、じつは平安時代の権力者たちもモニュメントを作っています。和歌集です。目に見えるモニュメントはいつかはなくなってしまいます。和歌は永遠に残ります。スマートだと思いませんか?以下は、最初の勅撰和歌集である古今和歌集の序文を全文です。美が政治の武器になったということが理解できると思います。これは原文のままですが、言わんとするところは誰でもわかると思います。(「ことわざ繁き」だけが少々引っかかるかもしれません。そのままだと「忙しい」になってしまいます。私は「いろいろな経験をするから」といった感じで解釈しています)

「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」


 
 
 

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